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伊奈波神社 宮司 東 道人(ひがし みちひと)

伊奈波神社 宮司  東 道人(ひがし みちひと)
昭和23年1月31日生まれ
三重県南勢町押淵 出身
国学院大学(II)文学部神道学科卒業

 

主な著書・共著・共編など 『野口雨情 詩と民謡の旅』 (踏青社・1995年10月31日)
『野口雨情 童謡の時代』 (踏青社・1999年6月20日)
『定本野口雨情』第5巻・地方民謡編 (未来社・1986年7月25日)
『新資料野口雨情-童謡-』 (踏青社・2000年9月15日)
『新資料野口雨情-詩と民謡-』 (踏青社・2002年5月29日)
『野口雨情 回想と研究』 (あい書林・昭和57年5月29日)
『風外本高和尚-研究と語録-』 (名著普及会・昭和60年8月30日)
『伊勢の海と神宮-二見ヶ浦の神々-』 (国書刊行会・平成8年4月15日)
主な論文 「風外本高和尚-その生涯をめぐって-」
(『跳龍』大本山総持寺出版部・昭和59年6月1日)
「浜参宮の意義」
(『瑞垣』神宮司庁・平成5年1月1日)
「イスラエルの聖蹟を訪ねて」
(『イスラエル宗教事情視察団記録』神道国際友好会・平成6年2月1日)など。

 

 

東 道人(ひがし みちひと)

■ 主な著書・編著・共著及び論文目録 ■

(平成26年7月1日現在)

 

 

「東」

『神奈毘』第5号
国学院大学神道研修部・昭和42年3月8日

 

東 道人

朝は朝やけにもえ
はてしない未来がそこにやってくる
澄んだ空をそめて
音を響かせ
太陽が出るのだ
ひとよりも早くおきて
その燃える陽を私は見た
幸せがやってくるように
恋人がかけてくるように
私の心も陽のようにもえた
若い若い青春の夢である

★ この一篇の詩は始めて活字になったもの。(19歳の作品)

 

 

「熊野御幸に於ける住吉社」

『すみのえ』 すみのえ発行所 昭和49年8月1日


★同誌は「特集・英霊のまつり」と表題。岐阜護国神社権宮司・国学院大学講師・森磐根「靖国神社国家護持問題をめぐる覚え書」・黒岩一郎「靖国神社法案騒ぎ私見」収録

 

 

『風外本高禅師生家論考』

風外本高禅師和尚顕彰会 昭和54年6月22日

★伊勢新聞・県民ひろば・ワイド版「伊勢市の東道人さん小冊子「生家論考」を出版」(昭和54年8月1日)


風外本高禅師生家論考

 

 

「父季彦のこと」

東季彦歌集『土塀』 昭和55年3月28日

★歌人・木俣修(昭和58年4月4日・76歳没・『形成』創刊)が「貴君よりのねんごろな書信をうけて返事をしようと思ってゐいるうちに日が過ぎました君の孝心に胸をうたれたので意図するようにされるようにと考えていたのだが、先般改めて手紙をもらつたので返事を書きます云々」(葉書・2月16日付)と回答がある。森磐根先生を介し、胡蘭成先生の揮毫。作家・足立巻一先生の「歌集『土塀』に寄せて」を収め、「そしてまた、歌集は純一に誠実に農に生きた人の切実な人生記録でもある」といい、「わたしは著者と一面識もない。いささかでもつながりがあるとすれば、わたしも少年のころ『多磨』に出詠したことがあるぐらいある」と認められている。平成元年3月28日、郷里(三重県南勢町押淵)の白瀧権現に南勢町・同町文化協会・押淵区が「離郷以来初めて村に帰り来て先ず腹這ひて谷の水飲む」(平成元年3月26日建立)の一首を歌碑として、参道に碑碣する。父季彦は平成13年2月7日・逝去81歳。なお、この一首は『離郷』と歌題し、前田勝夫作曲。
中日新聞・伊勢志摩版「暮らしの情報」(昭和55年10月19日)
伊勢新聞・学芸「みえの本」(昭和55年12月10日)
中日新聞・伊勢志摩版「地元を題材ー短歌の碑建立ー」(1989年3月18日)
伊勢新聞・「白瀧権現に歌碑ーきょう建立除幕式ー」(平成元年3月26日)

 

 

「雨情・伊勢路と詩と」

『枯れすすき』第8号 昭和55年10月20日

★『文学界』新年特別号・文藝春秋 昭和56年1月1日、小松伸六「同人雑誌」欄で『枯れすすき(第8号・武蔵野市)は野口雨情研究誌。篠崎徳太郎「雨情童謡への当時の批判」、地図入りの長島和太郎「雨情と樺太」、とくに東道人の労作「雨情・伊勢路と詩と」がいい。この雑誌は貴重な文学資料』とある。
毎日新聞社・南勢版「雨情・伊勢路の足跡」(1980年8月16日)
朝日新聞夕刊「野口雨情 伊勢路でも数々の作詞」(1980年8月29日)

 

 

「続雨情・伊勢路と詩と」

『枯れすすき』第9号 昭和56年4月25日

★毎日新聞・南勢版「雨情は県下を四回訪れる」(1981年5月12日)
中日新聞・三重総合版「野口雨情は四たび来県ー伊勢市の東さん研究誌に論文を発表ー」(昭和56年5月23日)
朝日新聞三重総合版「雨情の新伊勢音頭ー伊勢市の研究者に届くー」(1981年6月14日)
毎日新聞・南勢版「伊勢音頭もう一つあったー雨情の遺品からみつかる」(1981年6月14日)
中日新聞・二十三面「野口雨情、新たな足跡「新伊勢音頭」を作詞していた」(昭和56年6月14日)
毎日新聞・南勢版「新伊勢音頭のレコードー岡崎にあったー」(1981年6月16日)
中日新聞・三重総合版「昭和9年に来県・作詞野口雨情の新伊勢音頭」(昭和56年10月18日)

 

 

「雨情先生の足跡を慕いて」

『枯れすすき』第10号 昭和56年10月20日

 

 

「続・雨情先生の足跡を慕いて」

『枯れすすき』第11号 昭和57年4月30日

 

 

「新伊勢音頭の成立攷」

野口雨情生誕100年記念出版『野口雨情回想と研究』 あい書林・共著・昭和57年5月29日

★足立巻一は「野口雨情のことー生誕百年記念出版ー」(サンケイ新聞・昭和57年7月13日付)で、「歌われる独自の口語定型による自然詩を作ったことで、文化史上に残した雨情の業績は大きい」といい、「また、伊勢市に住む東道人さんは雨情作詞「新伊勢音頭」の成立を調べ上げただけではなく、往年これを歌った赤坂小梅を招いて6月16日に歌唱会を伊勢市で開いて盛会だったという」とある。
中日新聞・三重版「赤坂小梅さん招いて『新伊勢音頭』歌おう」(昭和57年4月27日)
毎日新聞・南勢版「昭和九年・野口雨情作「新伊勢音頭」リバイバル」(1982年6月6日)
中日新聞・伊勢志摩版「雨情研究書に執筆ー伊勢市の東さんが解説ー」(1982年6月9日)
毎日新聞・三重版「野口雨情回想と研究ー出版ー新伊勢音頭の誕生の背景もー」(1982年7月21日)
NHK津放送局・「きょうのリポート」「三重の野口雨情ー生誕100年によせてー」(1982年6月25日)


新伊勢音頭の成立攷

 

 

『風外禅師論攷』

風外和尚顕彰会 昭和57年6月1日

★毎日新聞・三重版「風外禅師論攷」(1982年7月21日)

 

 

「新伊勢音頭について」

野口雨情生誕100記念・『赤坂小梅・新伊勢音頭をうたう』・赤坂小梅を伊勢に呼ぶ会 昭和57年6月16日

★なお、本誌には、野口存彌「父の印象」、藤井徳耶「小梅さんと新伊勢音頭」を収録。赤坂小梅は平成4年(1992)1月17日死去、85歳。
赤坂小梅は「昭和4年、北九州市で芸者をしていた時、料亭で野口雨情・作曲家の藤井清水に美声を認められ、上京し「小倉節」でデビューした」朝日・中日新聞(1992年1月18日)
朝日新聞・「野口雨情の作詞よみがえるー半世紀ぶり「新伊勢音頭」あす発表」(1982年6月15日)
伊勢新聞・「野口雨情が作詞・赤坂小梅さん歌う」(昭和57年6月15日)
中日新聞・三重総合版「元気に赤坂小梅さん伊勢へ招かれて」(昭和57年6月16日)
中部読売新聞・全県版「赤坂小梅 新伊勢音頭をうたうー雨情の詩存分にー」(昭和57年6月16日)
毎日新聞・なんせい版「新伊勢音頭再び脚光」(1982年6月17日)
朝日新聞・三重版「小梅さんが歌う「新伊勢音頭」三百人集う」(1982年6月18日)
中日新聞・伊勢志摩版「新伊勢音頭で聴衆を魅了ー伊勢・赤坂小梅さんが美声ー」(昭和57年6月18日)
毎日新聞・南勢版「支局長便り」(伊勢・畑茂治)「小梅さん」(1982年6月20日)
毎日新聞・南勢版「新伊勢音頭を音楽授業にー女教師の試み現実ー」(1982年7月8日)

 

 

「雨情先生の足跡を慕して」(三)

『枯れすすき』第12号・昭和57年10月20日

 

 

「野口雨情と三重県の新民謡」

『ロータリーの友』第31巻・第1号(昭和58年1月号・「卓話の泉」収録。

★昭和58年4月17日午前10時・津・阿漕浦公園内に雨情詩碑が県内に初めて建立された。建立は津・津北・津南ロータリークラブである。
夕刊新伊勢・「詩人・野口雨情の歌碑ー17日、交通公園で除幕」(昭和58年4月7日)
読売新聞・三重版「雨情の足跡しのぶー津・阿漕浦に歌碑ー明日除幕式」(昭和58年4月16日)
中日新聞・三重広域版「阿漕浦に雨情の歌碑ー津市内のRCらが除幕」(昭和58年4月18日)
伊勢新聞・「野口雨情の歌碑建立ー津の阿漕浦ー地元歌った詞刻むー」(昭和58年4月22日)
毎日新聞・三重版「阿漕浦に野口雨情の記念歌碑」(1983年5月7日)
朝日新聞・三重版「三重の文学碑ー野口雨情ー」(東海文学碑研究会・本城靖)(1984年4月24日)
その後、中村八朗(三重県南勢町礫浦)が雨情詩碑(昭和59年7月4日)を碑碣され、南勢町文化協会会長・城者文雄らが十三基(1988年10月21日ー91年11月13日)を建立。
朝日新聞・三重版「「五ヶ所湾小唄」の詩碑そろうー最後の13基目剣峠で除幕式ー」(1991年11月14日)
中日新聞・三重総合版「野口雨情の詩碑除幕ー五ヶ所湾小唄刻むー」(1991年11月14日)
伊勢新聞・「雨情の細道完結ー剣峠に十三基目の詩碑建立ー」(平成3年11月14日)
毎日新聞夕刊・はなもくレジャー版「詩の細道で野口雨情しのぶー三重県南勢町ー」(1991年11月21日)
読売新聞・「九一記者フロッピーからー歌碑十三基建立終えてー野口雨情ゆかりの南勢ー」(1991年12月21日)
「この日、13基目が建つたのは、伊勢市と南勢町り境にある峠で、五ヶ所湾が一望できるところ。詩は小唄の最後の一節「神路山越えまた来ておくれ乙女椿の咲くころに」。除幕式には碑の揮ごうした雨情研究家の二見興玉神社の権禰宜・東道人さん、云々」(朝日新聞)と報じている。

 

 

「雨情先生の足跡を慕して」(四)

『枯れすすき』第13号・昭和58年4月25日

 

 

「雨情先生の足跡を慕して」(五)

『枯れすすき』第14号・昭和58年10月15日

 

 

「童謡のなかの動物と鳥」

『枯れすすき』第15号・昭和59年4月15日

 

 

「風外本高和尚ーその生涯をめぐってー」

月刊『跳龍』425号・6月号・大本山総持寺出版部・昭和59年6月1日

 

 

「野口雨情・詩と民謡の風土」

『枯れすすき』第16号・昭和59年10月25日

 

 

「雨情・詩と民謡の旅」

『枯れすすき』第17号・昭和60年4月15日

 

 

「風外和尚と周辺の人々」

『風外本高和尚ー研究と語録ー』名著普及会・共著・昭和60年8月30日

★中外日報・出版・「風外本高和尚ー20発刊ー」(昭和60年9月27日)
中日新聞・夕刊三重版「禅僧・風外の研究論文ー伊勢の神職さんがまとめるー伝記に修正を求める新説も」(昭和60年10月21日)
中外日報・駒沢大学教授・鏡島元隆「風外の全体像を描くー新出の詩偈集も収録」(昭和60年10月30日)


風外和尚と周辺の人々

 

 

「雨情・詩と民謡の旅」

『枯れすすき』第18号・昭和60年11月30日

 

 

『定本野口雨情』第五巻・地方民謡編』

未来社・編著・1986年7月25日

★中日新聞・三重情報版「みんなの本ー野口雨情全集ー」(昭和61年8月14日)
中日新聞・三重版「野口雨情の桑名小唄ー全編17節見つかるー」(昭和61年8月27日)
毎日新聞・三重版「野口雨情の地方民謡400編を収録」(1986年8月29日)


定本野口雨情』第五巻・地方民謡編

 

 

「戦後童謡と野口雨情の作品」

『定本野口雨情』第7巻・月報7・1986年11月・未来社

★中日新聞・23面「ぞうさんぞうさんソックリなのね」(昭和60年12月9日)と表題。そして「詩は一連二行の四連構成で、子供が象に話かけ、これに象が答えるという二連一組の対話形式。特に一連目では「象よ象よお鼻がなぜ長い」と、「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね」という「ぞうさん」の歌い出しにそっくり」と報じている。

 

 

「雨情・詩と民謡の旅」

『枯れすすき』第19号・昭和62年3月25日

 

 

「熊野路は詩のふるさとー紀州路・巡礼の路編ー」

『伊勢志摩』NO37号・伊勢志摩編集室・1987年6月1日

 

 

「詩人・野口雨情と神道」

『おきたま』第4号・二見興玉神社社務所・平成4年9月1日

 

 

「浜参宮」

『おきたま』第5号・二見興玉神社社務所・平成5年1月1日

 

 

「二見町・お正月の門札」

『おきたま』第5号・二見興玉神社社務所・平成5年1月1日

 

 

『浜参宮の意義』

『瑞垣』第163号・神宮司廳・平成5年1月1日

 

 

『浜参宮』

二見興玉神社社務所・共著・平成5年2月1日

★伊勢新聞・ローカルワイド「浜参宮の行事紹介ー遷宮控え初の冊子ー」(平成5年2月1日)
中日新聞・伊勢志摩版「浜参宮の行事を詳しく紹介ー二見興玉神社が小冊子発行ー」(1993年2月2日)
毎日新聞・おはよう三重版「浜参宮がよくわかる小冊子ー二見興玉神社が出版ー」(1993年2月6日)

 

 

「夫婦岩ー五本の注連縄ー」

『おきたま』第6号・二見興玉神社社務所・平成5年5月1日

 

 

「エジブト・イスラエルの旅」

『おきたま』第6号・二見興玉神社社務所・平成5年5月1日

 

 

「浜参宮」

『神路』神路会会報・第38号・平成5年8月1日

 

 

「輪注連縄のこと」

『おきたま』第7号・二見興玉神社社務所・平成5年9月1日

 

 

「家庭にまつる神々」

『おきたま』第8号・二見興玉神社社務所・平成6年1月1日

 

 

「イスラエルの聖蹟を訪ねて」

『イスラエル宗教事情視察団』神道国際友好会・共著・平成6年2月1日

 

 

「二見浦の三宮神」

『おきたま』第10号・二見興玉神社社務所・平成6年6月15日

 

 

「二見浦の蛙」

『おきたま』第12号・二見興玉神社社務所・平成7年6月15日

 

 

「無垢塩草」

『おきたま』第12号・二見興玉神社社務所・平成7年6月15日

 

 

『野口雨情 詩と民謡の旅』

雨情没後50年記念・踏青社・1995年10月31日

★シオン短大教授・堀江信男氏が「茨城文芸時評」で「徹底調査で欠陥埋めるー東道人「野口雨情 詩と民謡の旅ー」(茨城新聞・1996年4月30日付)で「東の労作は、そのような民謡が各地でどのように受け入れられたかを浮かび上がらせるものであり、1930年代の文学的状況にあっての民謡の意味について、想像をかきたてられる。すぐれた研究書が何冊か刊行されているが、本書は民謡に限ってなされたはじめての成果である」といい、「その最初の事実解明に費やされた労作が、全国にわたる雨情民謡についてなされる。それを読んでいてさえ、気の遠くなるような調査であり云々」とある。また季刊・『悠久』第65号(おうふう・平成8年3月25日)に「各地の歴史や伝統については、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『古語拾遺』等の古典をはじめ、地方の当時の新聞に至るまで、それこそ膨大な資料に当たりながら解説を加えている。野口雨情の各地方の詩や民謡がその地方の美しい自然と歴史や伝統に支えられていることを充分に認識した東氏の労作といえよう」とある。
毎日新聞・三重版「野口雨情 詩と民謡の旅」出版ー伊勢の東さん「荒廃の現代に昔の心を」ー」(1995年11月19日)
中日新聞・三重版「野口雨情 詩と民謡の旅」出版ー伊勢の東さん「足跡と370曲紹介」ー」(1995年11月22日)
朝日新聞・第2三重版「野口雨情の足跡本にー伊勢市の東道人さん「全国の374民謡紹介」ー」(1995年11月25日)
読売新聞・地域ニュース「雨情の足跡たんねんにー今度は「詩と民謡の旅」出版ー」(1995年12月6日)
中日新聞夕刊・「中部の文芸」(1995年12月11日)「未開拓の部分への鋭い照射や発見もあり、その情熱には驚く。労作の名に値しよう」とある
『出版二ュース』「ブックガイド」(96・1/上・中)「野口雨情詩と民謡の旅・東道人著」と題し紹介している。
『詩謡春秋』第103号(日本詩人連盟・平成7年12月25日)「新刊紹介」「野口雨情 詩と民謡の旅・東道人」とある。
『神路』第41号(神路会事務局・平成8年1月1日)の「全国出版図書紹介シリーズ」(第1回)「野口雨情詩と民謡の旅・東道人著」と題し記載している。


野口雨情 詩と民謡の旅


「あとがき」より一部抜粋
なお、上述の「あとがき」で記述した『五ヶ所湾小唄』成立年次の昭和11年7月は私の研究成果であり、著作権が存在することを言及しておきたい。

 

 

「『枯れすすき』のなかの人々」

『枯れすすき』第20号・平成8年4月15日

★『柳』通巻680号(第42巻第8号)「枯れすすき紹介ちょぴり」(1996年8月1日)「この雑誌の歴史については東道人氏の「『枯れすすき』のなかの人々」によってわたしにも少しばかりわかりました。この冒頭を少し引用させていただきます」云々とある。

 

 

「『野口雨情 詩と民謡の旅』の出版を終えて」

『枯れすすき』第20号・平成8年4月15日

 

 

『伊勢の海と神宮ー二見ヶ浦の神々ー』

国書刊行会・共著・平成8年4月15日

★中日新聞・三重第二総合版「伊勢の海の神々を本にー神事や興玉神考証ー」(1996年5月9日)
伊勢新聞「二見興玉神社の社報を単行本にー執筆陣6人、加筆し出版ー」(平成8年5月9日)
毎日新聞・おはよう三重版「祭祀や伝承 後世へー伊勢の海と神宮を刊行ー」(1996年5月11日)
読売新聞・「地域ニュース」「伊勢の海と神宮を考察ー鎮座と祭祀に焦点あてた解説本出版ー」(1996年5月15日)


伊勢の海と神宮ー二見ヶ浦の神々ー

 

 

「父母ー辛酸を嘗めながらも心豊かにー」

伊勢新聞・「リレー随筆」54・平成11年3月8日

 

 

『野口雨情 童謡の時代』

踏青社・1999年6月20日

★茨城大学助教授・橋浦洋志氏が「童謡運動の盛衰たどる」「童謡の思想性と盛衰」「雑誌精査し客観的に」(「福島民報」(1999年7月17日)「山口新聞」(同年7月19日)「琉球新報」(同年7月25日)「上毛新聞」(同年7月26日)「長野日報」(同年8月10日)「十勝毎日新聞」(同4年7月17日)「京都新聞」(同年8月1日)茨城新聞」(同年7月24日)など)と標題し、全国をほぼ網羅するかのように書評を掲載。そして、同氏は「童謡という言葉が最も熱気を帯びて迎えられた時期、「金の船」創刊の1919年(大正8年)から「金の星」が終刊を迎える28年(昭和3年)までを、童謡運動の中心的存在であった野口雨情の動向に焦点を当てて扱っている。年代順に二つの雑誌の記事を整理していくことで、除々に「童謡」の思想性が明らかとなってくるといい、「著者は二つの雑誌を精査しつつ、幾つかの誤解を解きながら、作曲者、詩人、小説家、歌人、地域の教育者を巻き込んだ童謡運動の盛衰を客観的に論じている。雑誌の各号ごとに要点がまとめられており、初めて雨情に触れる人にもお勧めできる」とある。
中日新聞・三重総合版「雨情の童謡時代に注目ー伊勢の研究家・東さん出版・詩の解説や背景紹介ー」(1999年6月19日)
伊勢新聞・「雨情と童謡テーマにー時代を踏まえてー「野口雨情 童謡の時代」出版」(1999年6月21日)
毎日新聞・おはよう中南勢版「大正期の作品に焦点ー「野口雨情 童謡の時代」を出版」(1999年6月22日)
読売新聞・地域ニュース版「雨情の童謡運動を紹介ー大正期の91編検証ー」(1999年6月28日)
毎日新聞・オピニオンワイド版「ひとー雨情童謡は心のメッセージとして現代に残る」(1999年6月30日)
朝日新聞・第2三重版「雨情を追ってー童謡の時代へー」(1999年7月3日)


野口雨情 童謡の時代

 

 

「野口雨情と私」

月刊『みえ』第64号・北白川書房・平成11年9月1日

 

 

「野口雨情詩碑一覧について」

『枯れすすき』第23号・平成12年10月20日

 

 

『新資料野口雨情ー童謡ー』

踏青社・共編・2000年9月15日

★読売新聞・社会版「知らぜざる雨情の世界ー未整理作品を集大成・伊勢の研究家と雨情の長男協力ー来年にも出版ー」(1999年1月9日)
朝日新聞・一面「雨情の童謡3500点に光ー直筆の原稿を発見ー伊勢・東さんら出版ー」(2000年9月22日)
伊勢新聞 志摩・東紀州版「野口雨情の未発表作出版ー研究家の東さんも共編ー」(平成12年9月23日)
毎日新聞・情報ワイド・列島東海版「野口雨情の「童謡の世界」全容が明らかに」(2000年9月30日)
出版ニュース・2000年 11月/上 「野口雨情の新資料」「雨情は生前、自分の原稿を守り抜くことを家族に言い渡していた。編纂にあたった東氏は、遺された原稿の解読を進めた。その成果となって結実したのが本書。なかには判読しがたい字も多く、解読は困難をきわめたという云々」とある。
月刊・みと・2000年11月号・「新資料野口雨情ー童謡ー」「野口雨情の未刊行作品が、初めて集められた。北茨城市出身の詩人・野口雨情が残した知られざる童謡350篇を、おなじみ童謡28篇とともに収める。新発見の小品や書簡なども収録された貴重な資料である」とある。


新資料野口雨情ー童謡ー

 

 

「一冊の本」

月刊『ぎふ』第199号・北白川書房・平成13年9月22日

★月刊『ぎふ』NO196号(平成13年4月1日)に森磐根氏の「伊奈波神社・東道人宮司歓迎」(「宮司さんのつれづれ月記」22)と題する記念すべき一文の姉妹編として執筆。なお、「東海民報」第1495号(平成13年6月15日)にも再録。

 

 

「豊饒の海から寄り来る興玉神」

『あらわれ』第四号・猿田彦大神フォーラム・平成13年9月22日

★第2回・地域フォーラム「伊勢志摩とサルタヒコ大神」(平成13年22・23日)と題し、猿田彦神社で開催。記念座談会「海から寄りくるもの」(谷川健一・石井忠・清田和夫・金城朝夫)報告・発表「伊勢志摩の研究者による研究報告」(岩田貞雄・小島瓔禮・高橋徹・山中章・中西正幸)、討論「全ての報告を踏まえた総括的な議論とまとめ」(櫻井治男・高見乾司・東道人・鎌田東ニ)が出席。

 

 

「仏教童謡・民謡の普及と詩人たち」

『枯れすすき』第24号・平成13年10月20日

 

 

「近代詩人としての野口雨情」

『尾鷲文化』NO・27・尾鷲市文化協会・平成13年11月1日

★朝日新聞・三重版「雨情とゆかり尾鷲で演奏会ーエピソードなど紹介ー」(2000年9月4日)
伊勢新聞・一面「尾鷲で県民文化祭ー語りと歌で雨情しのぶー尾鷲小唄全員で合唱ー」(平成12年9月4日)

 

 

「新資料野口雨情ー詩と民謡ー」

踏青社・共編・2002年5月29日

★毎日新聞・おはよう岐阜「生誕120年ー雨情の新資料を発刊ー」(2002年5月21日)
中日新聞・11版「野口雨情はマルチ作詞家」(2002年5月21日)
岐阜新聞・県内版「伊奈波神社東宮司ー新資料野口雨情 詩と民謡ー刊行」(2002年5月21日)
読売新聞・12版岐阜「野口雨情に童謡とは違う一面ー未発表含む240篇紹介ー」(2002年5月21日)
朝日新聞夕刊・3版「雨情の未発表作240点出版ー岐阜・伊奈波神社宮司らー」(2002年5月21日)


新資料野口雨情ー詩と民謡ー

 

 

「岐阜ロータリークラブ」

岐阜新聞「素描」 ・2002年11月6日

1983(昭和58)4月に、私は三重県の津南・津・津北ロータリークラブから一枚の感謝状を頂いた。そこには「雨情生誕百年を記念し、先生のご遺徳を称え、詩碑の建立に当たり、感謝の意を表します」記されている。同県内に初めての野口雨情の詩碑が、津・阿漕浦に建碑された時のことである。その建立に先立ち、『ロータリーの友』同年1月号に、「野口雨情と三重県の新民謡」と題する小文を発表していた。今から19年前のことである。

 

 

「シャボン玉」

岐阜新聞「素描」・2002年11月13日

雨情の子供が亡くなった時の歌だとする根拠は「生まれてすぐに/こわれて消えた」の詩句にあるが、それは単にシャボン玉のありさまを指しているのであって「子供を亡くしている」とする根拠は全く存在しない。

 

 

「海」

岐阜新聞「素描」・2002年11月20日

ところで、7月21日は〈海の日〉と祝祭日が選定されているが、人類を含め万物すべては海が故郷であり、生誕の故郷である。それ故、日本人はしばしば海水や清流に心身を浴し、生誕のありようを表現したのである。古来のミソギ(禊)は母体から生誕した形姿を表し、そのミソギを簡略した姿は、葬儀の参列後、海水を固めた塩で心身を清めるが、それは死の世界から立ち戻る作法であり、単なる〈清め塩〉ではない。つまり、生命の蘇生・再生を意味することなのである。

 

 

「癒やし」

岐阜新聞「素描」・2002年11月27日

この言葉ですぐ頭に浮かぶのは、「病気平癒」の「癒」である。この「癒」には、「いえる」「なおる」「病む」「なやむ」という意味がある。この字体のもつイメージは「疾病の癒なり」である。たまたま、ある雑誌を開き、「川面にゆらめく癒やしの音色」「癒やしの列車」というような言葉を読んだ時、病気を癒やす音色、そして何か病気の人々が乗車する列車との意味であると理解したのである。

 

 

「ふるさと」

岐阜新聞「素描」・2002年12月4日

私の郷里は三重県度会郡の名を知る人もいない奥志摩の一寒村の押淵(南勢町)である。古くは「穂原村大字押淵」であったが、隣村と合併して南勢町となった。『続日本紀』巻22・天平寳字(759)10月の条に「葦淵」と見え、押淵の起因ともいわれる。『勢陽五鈴遺響』に「山間ニ民居スル」といい、戸数30戸余りの小さな村で、村には鬼ケ城や白瀧権現があり、断崖には瀧が流れ、貧しいが平和で穏やかな生活が営まれていた。前後左右に立ち塞がる山々のわずかな裾を開墾して田畑を作り、祖々たちは生命をはぐくんできたのである。その村で祖父圓助はロバに乗り、20キロ余りにある村社・穂原神社に通った。圓助は短歌を詠み村人を集め、ひらひらと落ちる銀杏の葉に歌を書いて吟詠した。(中略)父は北原白秋の主宰する短歌雑誌『多磨』に28歳で準同人。解散後、木俣修の『形成』創立同人として、作歌活動を続けた。

 

 

「伊奈波音頭」

岐阜新聞「素描」・2002年12月11日

1927(昭和2)年2月20日、野口雨情・作曲家藤井清水・声楽家権藤円立・舞踊家島田豊の4人が来岐している。商品陳列場(岐阜市司町)で「詩と音楽と舞踊の会」が催されたが、終了後雨情は陸軍御用達として、みそ・たまり醸造を手広く営んでいた岐阜市本町の服部銀次郎(1898―1961)宅に投宿した。

 

 

「身は低く心は高く」

岐阜新聞「素描」・2002年12月18日

子供を愛撫することが最も慈愛にみちたものと勘違いをしている。良いこと悪いことの判断を身につけさせることが最も大切である。それを完成していないと親にしっぺ返しとなって帰ってくる。それで親は苦しまなければならない。

 

 

「大晦日」

岐阜新聞「素描」・2002年12月25日

迎える新たな生命の再生への祈りが込められている。1年は元旦に始まると言われるように、心豊かな年を迎えたいものである。

 

 

「御鹽祓の教学」

私家版。平成15年5月27日刊、後、岐阜県神社庁東加茂郡支部が同年10月22日に八百津町ファミリーセンターで「神宮大麻と神社関係者大会」と併合し「御鹽祓の教学」と題し講演その際同文を印刷し配布する。

 

 

「童謡への誤断」

『童謡再発見ー音楽物語ー詩人・野口雨情』(松阪音楽文化協会・松阪市制施行70周年事業実行委員会)2003年11月2日刊
「童謡への誤断」

 

 

「お茶事と祭祀」

「みちひらき」猿田彦神社 平成16年 2004年7月・第八一号

 

 

「生きる」

「いぶき」第三五三号
笠松刑務所 2004年11月号

 

 

「忘れえぬ味」

月刊「とうかい食べあるき」シリーズ NO280 2005年1月号 NO351 北白川書房

 

 

「野口雨情と仏教聖歌」

踏青社・2015年11月5日

野口雨情と仏教聖歌