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2011年08月01日
ブライダルフェアー開催

ブライダルフェアー開催のご案内

日時 平成23年9月18日(日) 10:00~15:00

場所 伊奈波神社西館・参集殿・儀式殿

フェアー実施内容

・摸儀神前式 12:00より

・模儀式に続いて花嫁行列

・料理・引出物・引菓子展示

・花嫁かつら試着&着付相談

・装花・演出・写真展示相談

・衣装展示&試着

2011年05月01日
オカリナコンサート

伊奈波神社 篝火コンサート

三牧孝至 オカリナの調べ   ピアノ/松野弘子

平成23年5月21日(土) 午後7時より

伊奈波神社 楼門内 (雨天 参集殿内)

2011年03月04日
伊奈波神社とお江(崇源院)について

伊奈波神社とお江について

 

 

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の放映が始まり、主人公であるお江と岐阜についての関心が高まっている。

江は浅井長政と織田信長の妹である市の三女で天正元年(1573年)近江国小谷(滋賀県長浜市)に誕生し、天正元年9月1日父浅井長政は織田信長に小谷城を攻め落とされ自害する。市は三人の娘(茶々・初・江)と共に兄信長に保護され岐阜城(稲葉山城)に留まったとされている。

伊奈波神社は稲葉山に鎮座していたが、天文8年斎藤道三が稲葉山城を居城とする際、現社地に遷座し城地鎮守神として歴代城主の崇敬が篤かったとされるが、天正11年の兵火や明治の震災で焼失し古文書や奉納品は現存していない。

伊奈波神社には江が岐阜の地で誕生し当社を産土神として崇敬していたとの伝承がある。

前述の通り古文書が残されていないので当社所蔵文書からの検証は不可能であるが、現存する資料から記述を引用し考察する。

 

①伊奈波神社史附物部神社史

當社は猶連綿として國の守護職及齋蔵織田の氏族等相續て崇敬を盡し徳川氏厚く尊仰す其由は濃陽志略に「台徳公の正妃崇源院大夫人は浅井備前守長政の女なり其母織田右丞の娣たり長政自殺の時信長の娣逃れて岐阜に来り一女を産む是れ崇源院太夫人なり故に此祠を以て生土神となし殊に之を信仰す」と記せり

(明治36年発行 天覧書 鹽谷幸満・片桐準三)

濃陽志略=別称「濃州志略」10巻 松平秀雲著 

台徳公=徳川秀忠(台徳院)  崇源院=江

 

②岐阜志略 因幡宮社家傳

寛永17年辰年東福門院様へ御祓指上る時、相模守従6位下に任ず。

大御臺様より因幡宮に而御祈念御祓等毎度江戸へ指上ぐ、又は比野清左衛門と申す人御使にて御祈祷の時も有り。御初尾銀子つかはさるる節、鹽谷右衛門大夫宛名にて女中・民部卿より奉行への文数通神主所にあり。或大御臺様或西丸様どもあり。

大御臺様御父浅井備前守御母信長公妹 備前守滅亡の時内室懐胎にて岐阜へ逃れ、岐阜にて女子出産。此女子後に臺徳院様へみやづかへ給ひ、後大御臺様と申す由。岐阜御産所ゆえ因幡宮御信仰有りしと也。 (延享年間 松平秀雲著)

大御臺様(大御台様)=崇源院 江  民部卿=江の乳母 

臺徳院様=徳川秀忠  西丸=江戸城西の丸

 

③伊奈波神社略史

寛永17年後水尾天皇の皇后東福門院・その御母崇源院(秀忠夫人)から御祈願あらせられたことである。崇源院(浅井氏)は岐阜で誕生せられ、本社その産土神に當るの故を以て崇敬殊に深く、東福門院は又その縁にましまし御信仰が篤かったので、當社から御祓を献上するを恒例とした。(昭和16年発行 國幣小社伊奈波神社奉賛會)

東福門院=江の五女で崇源院の供養塔を建立

 

松平秀雲(君山)は尾張藩の藩士で「濃陽志略」「岐阜志略」が編纂された年代は江が没後100年以上経過しているので岐阜で誕生したのか否かの確証は得ない。

 

④濃州厚見郡因幡大菩薩社之御事

1、崇源院様之御氏神ニ而御座候間、別當社家共ニ御祈祷相勤、御札両方指上申候

         (慶長18年癸丑2月16日 因幡別當吉祥院法院良雅 萬徳寺文書)

当社の神宮寺である別當は建立当初因幡寺吉祥院であったが後に満願寺となっている。

慶長18年は江が生存していた時代の記述であり、江が伊奈波神社及び当社別當に御祈願をなされていた最中に記された貴重な文書である。ただし、江に関する資料は少なく、慶長18年に崇源院を名乗っていたかは不明であり、文章作成日時の誤りも否定できないが、文章の日時を偽る理由も見当たらない。

 

江がどこで誕生したかは別として、幼少の時を過ごした岐阜の地を故郷と慕い伊奈波神社を産土神と信仰し、当地を離れた後も御心を寄せられ御祈願なされたその御姿を、稲葉山に御鎮座以来1900年、数多の人々が伊奈波大神を拝んできた歴史の中に確かに見ることが出来る。