本殿は入母屋造りで建てられており、五柱の神様がお祀りされています。
(右側)
大行事社・右御前社・峯八王子社・金社・大神門社・髙山社・品部社
祭礼日 9月15日
(左側)
野宮八幡社・総神社・祖會路神社・兒御前神社・大国主神社・楠神社
祭礼日 3月18日
黒龍神社は、天文8年(1539年)に伊奈波神社が丸山の地から当鎮座地に遷座される以前から当地に鎮座されています。
黒龍大神様は活発で行動的な神霊であり、今日も「願いが叶った。」「病気が治った。」など多くの人々が福徳増進・諸願成就の神様として祈りと感謝の心を捧げています。
歌神として信仰される三柱の神様をお祀りしています。
6月の献詠祭では県内外から多くの短歌・俳句が寄せられ、その内の入選作品を選者代表の方により御神前にて詠みあげ奉納されます。
須佐之男命様は八岐大蛇を退治し夫婦と娘を助け、人々を疫病からお救いになられるなど、私達に寄り添いお守りしてくださる神様です。疫病・厄難災除けの神様として人々から信仰されています。
菅原道真公は学問の神様、また芸能の神様として学業成就や武芸上達を願い人々からお参りされています。
当神社の旧鎮座地である丸山に「烏帽子岩」が鎮座しており、この御神石の影向石として当神社の境内に安置されています。 知恵授けや頭の病気に霊験あらたかとして信仰されています。
宝永6年(1709年)に御鎮座され、御神像は、沢田十蔵の作と伝えられています。年に一度の大黒社例祭では社殿の扉が開かれ、祭典後は御神像を拝見し、お腹を摩って大黒様の御神徳を戴く人で行列ができます。
事業繁栄・商売繁盛を願う人のお参りが多く、崇敬者の方々からの朱塗りの鳥居の奉納も多くあります。
服飾繊維、和洋裁、手芸の守護神として名高く、毎年2月8日の針祭には其の道の業者、組合員等が参列しお祭りが行われます。針の御霊を慰める為、使い古した針を納める針塚があり、そこへ役目を終えた針に感謝の気持ちを込めて納められます。
当宮は江戸時代に岐阜奉行所でお祀りされていたのを、明治に入り、当神社境内地に遷座されました。和歌三神社・須佐之男神社・天満宮と合わせ4社が合祀されていましたが、岐阜東照宮奉賛会並びに御造営協賛者の方々の有志により、令和3年に新宮が御造営され、遷座されました。
鉱山や治金を司る御祭神の金山彦命をお祀りしています。
祭礼日には金属関係の会社で組織される金山神社奉賛会の方々が参列され、事業繁栄と身体健康を祈ります。
火の神様である迦具土命様をお祀りしており、祭礼日には氏子崇敬者の方々の防火・防災と家内安全を祈ります。
忠魂碑には乃木希典大将により書かれた文字、「明治37・8年戦役岐阜縣下戦病死者忠魂碑」が刻まれており、日露戦争にてお亡くなりになられた岐阜県下の戦病死者3873柱の御英霊をお祀りしています。
神社下の池の中心に社殿があり、かつては辯財天講があり、多くの崇敬者の方々から信仰されていました。
稲葉山の中腹に鎮座しており、当地は五十瓊敷入彦命の母君である日葉酢媛命をお祀りしています。古くは稲葉山の山頂にお祀りされていましたが、斎藤道三が居城の際に権現山の山頂に遷しお祀りされました。
稲葉山の一角にある丸山の山頂に鎮座しており、伊奈波神社の旧鎮座地です。天文8年(1539年)に斎藤道三が居城の際に、丸山から現地へ遷しお祀りされました。丸山神社には現在も石基と六尺周囲一丈余りの烏帽子岩が存在し、「伊奈波神社旧蹟」の標識もあります。